こんにちは、しーまです。
今回の記事は
周りを気にしすぎて挙動不審になってしまう人に読んでもらいたい記事です。
客観視は挙動不審を増長させる?
まず第一に、
自分を客観視したら、悪いことしか思いつかなくね?ってことです。
よく言われるじゃないですか、
「自分を客観的に見ろ」って。
就活なんかでも、
「自分を客観的に分析していいところを見つけよー」って。
いわゆる自己分析みたいなのありますけど、
そんなことをしても自分には何もないなってことが
わかるくらいなんで「やらなくてもええんちゃう?」
とか思ってましたけどね。
まあ一般的に言われている「客観視しろ」は、
過去及び現在の状況をもとに自分を分析する
自分が周りの環境とどういう関係にあるのかを把握する
という意味合いで使われることが多いようですね。
僕のイメージでいけば、
2つ目は客観視ではなくて俯瞰するってイメージですが。
で、客観視すると何が起こるのかってことですが、
・自分の行動を客観的に見る → 人が自分の行動や姿・形をどう見ているかを異様に気にする → キョドる(やばい、視線気になる、、、やばい)
・自分のステータスを客観的に見る → 客観的に見るためにほかの人と比較 → 気持が不安定化(ネガティヴマインド発症、、、どうせ俺なんて。。。)
・自分の人生を客観的に分析 → 「自分の過去の実績や経験」から判断 → 夢や目標をあきらめる(俺今まで何も実績ないやんけ。。。こんな俺が努力してもウンタラカンタラ、、)
的な感じですね。
いやー、自分を客観的に見たくないですね。はい。
というか、自分自身を客観的に見るのは不可能なんじゃないかと
ちょっと思いました。
だって客観視しようとしても、
必ず通らなければならない道があるじゃないですか。
自分という主観的視点を通るにしろ、
他人Aまたは他人Bという客観的視点を通るにしろ
それはどの視点を通っても必ずフィルターが存在するってことです。
フィルターっていうのは、人が経験してきたことや、
感じてきたこと、物の考え方など、
ある人間を構成する価値観のようなものだと捉えてください。
簡単にいうと、
「自分自身が考えている客観的視点と、他人が自分を見る視点には
少なからずズレがあるのではないか」
ということ。
つまり、人はそれぞれに主観を持っており、
そのフィルターを通して自身を客観視するということです。
(主観は人によって変わります)
「自分の主観をもとにして、他者の気持ちを推測する」(≠客観的)能力、
これが客観視するということでしょうね。
「客観視であって、客観視でない。」
そんな関係がありそうな気がします。
世の中で言われている常識について
ついでに思ったのが、世の中で「常識」と言われてること。
これは、同じような主観を持った人間がたくさんいて
出来上がるめんどくさいものだと僕は考えています。
友達とか親に、「そんなん常識やろ」とか言われるたびに、
「はあ?それはあんたの主観やろ」って思っておりました。
ここから導かれることは、
僕の主観(価値観)は、多くの人の主観(常識)とは違う、、、
ということですね。
まあそんなに困ったことはありませんね。
あるとすれば、何かしようと思った時に
「あんたは常識ないから」と止めてくる親くらいでしょうか。
そんなものは無視して突っ走るのが一番です。
あんたの人生じゃないんだよ。僕の人生なんだよって。
この記事で何が言いたいかというと、
主観で生きろ!!
ってことです。
「常識」という名の武器をバカの一つ覚えみたいに振りかざしてくる大人が多いですが、
自分のやりたいように生きるのが精神的にもいいんじゃないかと思います。