形を変えて何度でも蘇る

形を変えて何度でも。

こんにちは、クルマです。

ちょいと思うところがあって適当に書く。

 

クリエイターは沢山の人がいるが、だいたい同じような話をして、同じような結論に達する。

そう感じるくらい、最近は情報の焼き増し感があらゆるところに感じられる。

書店に並ぶ書籍ひとつ取っても、どうすれば稼げるか?という話をしている本が沢山目に付く。

アレンジが加えられているだけで、多くの情報は新しいものではない。まあこのアレンジの加え方が創造力であり、発想力なのだが。

昔の偉人が言っていた言葉に、自分自身の経験談を具体例として語り、結論的には同じことを話す。

魅せ方が違うことも多い。

例えば、youtubeに動画をアップすることを考えると、自分自身の声を録音してみるとか、機械音声を利用するとか、テロップを出して文字を表示させることもある。

さらにはBGMを入れたり、見やすいように動画をカットしたり、グラフを用いたりと様々なアレンジを加える。

引用元の信用性に注意したり、情報を整理して視聴者に届けるといった配慮も必要になる。

そこまで考えて作ることが出来れば、もう立派なクリエイターである。

これに似たようなことが、非常に沢山のところで見られるのだ。

同じ内容を話ししていても、声の低い男性が言うか、声の高い男性が言うかによっても信用度が変わってきたりする。

また社会的に成功を収めているかどうか?も信用度の高低を表す指標になってくる。

まあこんな事を長々と書いても意味のない評論と同じであることは重々承知している。

現実問題、自分自身で何かを生み出してみないことには何も始まらないし、何も残らない。

どうでもいいことを あーだこーだ言う前に、さっさとコンテンツを作るのが一番だ。

会社での仕事をせっせと行っても、資産として残るかと言われれば、少し疑問である。

今日会社で生み出したアウトプットは、いつの日か自分を助けてくれる資産になるだろうか?

少し考えてみると、多くのことは今後の自分の資産にならない。いや、直接使える資産がないといっていい。

例えば、上司にプレゼンする資料は今後の自分に役立つ事はないが、その資料を作るために培った能力は役に立つ。

つまり、直接使えるスキル(資産)は手に入らないが、

後に自分が資産を作るためのスキルを磨くことが出来る。

そういった意味では会社の仕事に精を出すのも理解が出来るが、あくまで最終的にそのスキルを利用する場があってこそのものである。

その場を用意出来ないのであれば、

そのスキル習得も非常に虚しいものだろう。

しかし、安心してほしい。

今の時代、いくらでも公の場にアウトプットすることができる。

これはネットが使える人なら本当に誰にでも可能だ。